月の砂漠

男娼のキーチ、若きIT界のスター永井、その妻アキラと娘カアイ、永井の部下市山、経済界のドン灰出川、テレビ番組のプロデューサー野々宮。
個性豊かな人物たちがとても良いということが読み始めの素直な感想。

灰出川が仕掛けたことで経営の傾いた永井の会社「ソフトリアル」、そこから関係ないかに思われた人物たちが縺れていくんだけどそれがまたいい。
それぞれ、人物にフォーカスが当たりながらも「永井家族の分裂」という一つの事件が流れていく感覚。
人の中身が詳細に書かれるプロットにも関わらず、事件が流れを持って把握出来ることが純粋にすごい。
個々の節だけ読むと、フォーカスの当てられた人の性格しか分からないような作りなのに繋げたらきちんとした物語になってるのが「月の砂漠」なのだと思う。

こう、大層なことを書いている自負はあるけれど、実はこの小説、まだ読み終わってない。
というのも、今さっきまで読んでいた節が衝撃で、衝動的に文章を打っているのが今の私である。

第3章終わりの始まりの終わりの第1節を読み終わったところだ。

とにかく第3章第1節がすごい、というのを伝えたい。
男娼が出てくる時点で社会的なところとは一歩隔絶した要素があるのは想像できるかもしれないが、この小説の事件は我々一般に生きる人間には無縁であるような事件である。
そこそこに昼ドラみたいにドロドロとしていて、捻くれている。
いわゆるフィクションという感じ。

その中でこの節が非常に抜きん出ている。
ネタバレかもしれないけども大方のあらすじはこうだ。
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永井という一経営者から逃げるために、妻のアキラと娘のカアイは、アキラの幼い頃過ごした生家へゆく。
いかにもな共同体があるような田舎である。
その生家で、アキラは飛行機事故で死んだ両親の幻影を見る。
その風景には娘のカアイも混じっている。 感傷に浸るように、幼い思い出の詰まったものをカアイと広げていく。
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牧歌的な親子の風景とアキラの過去が混じり合う描写も、非日常的な物語から見るとかなり清涼感があるのはもちろんなのだが
この後のシーンでアキラが倒れた時の親子の会話が衝撃的だったのだ。


それまでアキラは娘ではなく友人のような距離感でカアイ育てようと、おかあさんと呼ばせることはなく
カアイもまたそれを分かっているかのように大人びており、アキラちゃんとしか呼んだことがなかった。

そんな親子は母親が倒れて初めて、娘は母親を「おかあさん」と呼び、母親は友人のように接してきた娘に「ひとりにしないで」というのである。

私がここで感じたのは、自分の理想とする形など心の底から求めるものには勝てるはずもないという絶望だった。
特にアキラという強烈な存在がそれを感じさせた。
自分はいつも俯瞰して依存する人間を否定、理想を語りながらも、家族に依存していたかった人間がアキラだった。
求めているものを拗らせ、夫から逃げ、娘から逃げ、否定した結果がこれなのである。



とまあ、長ったらしく読了もしてないのに感想を書いたの伏線や小説内での出来事が全てこの節に詰まっているような熱量を感じたからで、ここからどうなるのか、というのが気になってないといえば嘘だ。
読了記録についてはまた後日書こうと思う。

感じた熱量が本物だったという確信を持ったまま読み終えられれば、と思う。
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